イースターホーク(後編)





「唖然失笑! どういう風の吹き回しだあ? まったく興味なさそうだったじゃないか」
「副所長に話して、ちょお休み貰ったんじゃ」
 こういう手続きが必要なんやね。手慣れた様子の斑に着いていく。陸路で行くのとどっちが早いんやろか、というと、国内なら場所にもよるが手続きや空港までのアクセスを考えるととんとんじゃないか、とのことだった。この空港はほぼES専用みたいなものだから手続きも少ないが、本当ならもっと複雑で時間がかかるのだそうだ。航路よりは断然速いぞおと、よくわからない比較を出されて、それはそうだろうとしか思えなかった。
「留学のため一時活動休止やて」
「よく聞くやつだなあ」
「ソロ活動も増えとるしこんなん言い出したら解散かなぁ思たんやけど」
「ああ、あの子はそれはさせないだろう」
「副所長はんな。ファン向けのイベントも組んでなかったしなあ。利益出せる程度には売れてるから、そういう商売ちゃんとやりたいんやて。わし個人だけここ三ヶ月詰めっぱなしで仕事入れられたわ」
「はははっ 商魂たくましくて結構だ!」
「ほんまやね」
 言うてわしだけ休止やから他のメンバーは続けるし、レギュラーで出てるラジオとか個々の仕事は継続できるて。それは何よりだなあ。雑談しながら二人並んでスーツケースをゴロゴロと押していく。搭乗前に中を開いて、所持品検査を受けなければならないのだという。

 こはくが休みたいと言ったときの七種の愉快な百面相を思い出す。それなりに長い付き合いになるけれど、あの時はじめて、私用で声をかけた。
「桜河氏、聞き間違いでしょうか。自分疲れているのか幻聴が聞こえたようです!」
 あまりにも突拍子がなかったのかも知れないし、直近の仕事のことだと思われたのかもしれない。その証拠に、七種はこめかみを揉むようにしたあと「またどこか痛めましたか?」と厄介ごとを厭うように続けた。
 そうじゃないと、こはくは首を左右に振る。七種はいかにも怪訝という顔をして「それでは何故です?」とため息交じりに問いを重ねた。ギラギラした顔で溌剌と悪事を考えているときと、アイドル活動をしているとき以外、大体この副所長は、疲れきった社会人のお手本みたいな陰気な顔をしている。
「今入ってる仕事の区切りがついたらで良ぇんやけど、ちぃと海外行ってみたいんよ。あかん?」
「……そろそろソレ、消費期限ですからね。新しい武器をお作りなさい、とだけ、同業の先輩兼プロデューサーの端くれとして進言いたします」
 何故か年上連中のガードが甘くなるいつもの仕草で稚く尋ねると、七種は渋い顔になり、失礼なことをサラッと言った。子供扱いの抜けない身内には、使える限り使うつもりではあるが、ファンサ―ビスでやっている訳ではないから、消費期限も何もないだろうとこはくは思っている。
 しかし折角、事務所の先輩殿から有難いアドバイスをいただいたのだし、と思い出したタイミングで、前を歩く図体ばかりの男の袖を突いた。首を傾げて下から覗きこむようにして窺う。
「斑はん、わしのこれ、もうかわいないやろか?」
「ううん? どんなこはくさんも、ママからすればかわいい赤ちゃんだぞお☆」
 これ、と言っているのに、自称母はこはくを見もせず、適当に調子を合わせた。斑は印字された番号の搭乗ゲートを探している。こういう雑なところが、藍良との他愛ない話やドラマなどから察する、世の母親像に一番近いのではと思う。本人にその自覚はなさそうだが、こはくに協力的でない相手にわざわざ教えてやることでもない。しかし何の参考にもならなかったと溜息をついて、帰るまでに新しく何か考えるべきだろうかと黙考する。こういうことはやはり、藍良辺りに相談した方が良さそうだ。あちらに着いてたら、通話アプリで連絡しよう。
 七種は「さておき」と話を区切り「要件は承りました。一考しましょう」とその場で条件などは提示せず持ち帰り、後日「このようなプランで如何でしょうか?」と休みを取るまでの仮スケジュールを組んできた。話が早すぎて不審げに見やると、まあ海外に拠点をおける、というのもESの売りですからね。きっちり仕事を取ってくるなら何ら問題ありません。全面的にバックアップいたしましょう! とやたら歓迎され、胡散臭くて鼻がもげるかと思った。今のところ撮影器具を持たされて、週一の配信を義務付けられている。
 こんなん、ヴァルキリーのあのお人にでも頼めばええのに。云うことを聞く海外で使える駒が欲しいっちとこやろか。また無理難題を押し付けられるのだろうかと、今から少し不安だ。わがままを聞いてもらった分、ある程度は仕方がないと受け入れるつもりだが。あまりに酷いようなら、やはり一度殺そう。

 今後の七種との付き合いを考えつつ、発着する飛行機をガラス窓から眺める。大小さまざまな機体が並んでいる。ほぼ専用ということもあり、待合の人はまばらだ。
「外国なんて亡命か何かで行くとこや思てた」
「笑えないなあ」
「斑はんがよう行き来してはっても現実味なかってん」
「世界は広いぞお☆ これから嫌でも知るだろうが」
「ええ身分になったものやわ」
 斑はなんの、と言って、こはくの肩を叩く。見上げると大男がにっかり笑う。
「こはくさんがよく言う、平穏な暮らしというやつだろう」
「おかしいんよ。誰もわしを裁かん」
 朱桜司からあの部屋と、桜河こはくの人生を貰ってからの二年は、それを考える時間だった。お役目が解かれる時は死ぬか帰るかだと思っていたのに、何故己は、こんな日当たりの良いきれいなところに居るんだろう。明け方ベランダから景観を眺めると、足元がぐらつくような心地がして良くなかった。一人であの部屋に居ると落ち着かなくて、日を追うごとに何をすれば良いかわからなくなった。日が落ちて部屋が暗くなると、やっと、何もしなくても良いのだと、身体の力を抜くことができた。
 その頃だ。燐音がこはくと同居を申し出たのは。こはくは燐音のことを慕っていたけれど、未来は夢で、先のことは幻だった。燐音とどうにかなりたいとも、どうにかしたいとも思わなかった。こはくが願ったことは、こはくがこはくとしてここに居るあいだに、燐音の調子が戻るといいなとか、楽しいことを共有したいなとか、同じユニットの人間として恥ずかしくない仕事をしたいなとか、その程度の、取るに足らないことだった。ずるずると二年続いてしまった同居のあいだ、あと一日、もう一日、そうやって夢を見るように生活して、明日がくるなんて信じていなかった。
 だから最後は、こはくが壊した。病室で立ち尽くす燐音の姿は、こはくのやったことの結果だとおもった。歪さを目の当たりにして、一度すべて終わらせるべきだとおもった。それがはじめた人間の責任だろうと。結果はなんだか、こはくにとって都合が良くなってしまって、困惑したけれど。

 芸能活動を休止すると言ったこはくに、燐音は、あっそォと言った。新しいユニットを組むと言ったときも、へェとしか言わなかった。燐音はこはくがやることに口を出すが、こはくがこれと決めたことには口を出さなかった。新しい仕事が入れば良かったじゃんと笑い、仕事が終わればオツカレさんと労った。出来が良ければ褒めてくれたし、悪ければ悪いとはっきり言った。そういうところが憎たらしくて、ずっと好きだった。
「こはくさん、変なこと考えるなよ」
「自殺なんかせんよ」
 こんなにいっぱいしてもろぉて、そない不義理なこと。
 外の世界を見に行くと言ったら、必要な書類やらなにやら一式を用意されて、こはくはそれをひたすら記入していくだけだった。司が援助すると言って聞かないので、問題なく海外で活動できるよう身分を作ってくれればそれで良いと言った結果だ。現地のダンススクールや語学学校まで勝手に決められていて少し喧嘩したが、断り方もうまくわからなかったので甘えるところは甘えようと決めた。掛かる費用だけは自分出すと言って、そこだけはどうにか意地を通した。家探しは斑が助言をくれたし、海外に食材探しへ行くこともあるニキは良く効く胃薬など持たせてくれた。燐音とHiMERUには家の鍵を預けて、こはくが居ない間の家の管理を請け負ってもらった。図々しくなったものだとおもう。甘やかされることに慣れてしまって、きっとこれから辛いだろう。
 アナウンスがかかり、チケットを持って搭乗口から機内へ乗り込む。斑とも途中でお別れだ。こはくが降りる国で、一度乗り継いで、また別の国へ行くのだそうだ。どうあっても、ESの掌上は嫌なのだという。斑はいつも好き勝手で、仕事で組むときはもう少し大人にできんものかと頭が痛い悪癖も、今このときは、酷くこはくを安らかにさせた。斑のことは好きではないが、それはこはくが、自由に不慣れなせいだろう。そういう、暴力的で、眩しいものの、象徴みたいな男だった。
 自由とは、そんなに良いものだろうかと、こはくは常々疑問だった。こはくの自由は、いつも枕詞に、束の間、とついた。限定的で、つまり自由とは程遠かった。それで満足していたのに。すべて自分で選択しなければならない世界に行くのだ。死ぬためではなく、生きるために。こはくは祈りの言葉を握りしめる。



(どこへいってもいい。どこにだっていける)







「まあ飛行機墜ちたらしまいやけど」
「縁起でもないなあ」
「コッコッコ♪ ほんま、地獄へ道連れっちヤツやね」
「脱出用のパラシュートはこれかあ?」
「勝手に触って良ぇんかそれ」