永遠


 齢を十数えたころ、親族の葬儀に連れていかれた。朝から慣れない洋装に着替えるよう言いつけられて、支度がおわると母に手を引かれて車に乗せられた。こはくにとっては一応、叔父にあたる人が亡くなったときだ。ここで一応と前置くのは、叔父が果たしてこはくの存在をそれと理解していたのかわからず、こはくもまた、生きているころに会ったのは一度きりだったので、実感としては他人と変わらなかったからだ。旧家のため遠縁まで含めれば大層な家の数だけれど、近ければ近いだけろくでもない生業の家だった。互い作法として領分を犯さず、一堂に会することも少ない。桜河の人間は元よりそのような集まりに呼ばれないことも多く、その中でもこはくはとくに卑しい出自の者だったので、そのときはじめて式典というものに参加したのだ。焼香の列にならび、作法がわからなくて困惑していたら、隣に並んでいた母に「前の人とおなじようにやればよろしい」と言われた。しかしながら、前の人間が何をどうやっているのか、こはくの背では伺えなかった。そのまま順番が来てしまい、仕方なく隣の母の手元を盗み見ながら真似たのだ。香の粉末をつまんで額へ、そのあと石の上へ、くり返しくり返し。そうして手を合わせた。意味の一つも知らず猿真似をして自席へ戻った。こはくは一度あたりを見まわし、そのあと視線を膝に落とした。周囲の声に耳を澄ませる。「急なことでしたね」「どうしてあんな優しい人が」「この前お会いしたときはお元気そうだったのに」鼻をすする音、嗚咽、涙声の別れの言葉。こんなに惜しまれて亡くなるのに、叔父は桜河の人間に疎まれて、朱桜の益にならないから死んだのだ。こはくが連れていかれたのは、こはくがはじめて殺した人間の葬式だった。死に顔を見ておくようにと父に命じられていた。叔父の死に顔なんて殺したそのとき存分に見たのだけれど、それが伝統や仕来りと同じに括られる、犬猫畜生の躾だった。棺を閉じる前に皆で生花を棺に入れた。じっと横たわる遺体を千切られた花が色とりどりに飾っていく。叔父の顔は、こはくが背伸びをすれば覗くことができた。香と生きた花と、わずかに肉が腐った甘い臭いがする。死に化粧をされていたので、生きているときの方が何だか小汚い顔をしていたなぁと、こはくは叔父の最期のときを思い出した。筋肉が緩んだ死体の顔は、とても安らかに見えた。そんなわけないのに。だってこはくは下手だったから、大層苦しませてしまったはずだ。葬儀屋が「お別れのお時間です」と遺族に声をかけ、ゆっくりと棺を閉じた。恭しくその場に一礼し、叔父だったものを併設された炉へ運んでいく。その後ろを、こはくたちも着いていった。ぞろぞろと連なる黒は、一人一人が不幸を手ずから集めたようで、こはくが最も見慣れた色をしている。轟々と鳴る炎にのまれていく棺を見送りながら、叔父の娘にあたる人が泣いていた。となりに母親が寄り添い、ハンカチで口元を抑えている。そのときこはくは、この世で永遠とよばれるものを理解した。生きている限り死人とは二度と会うことができない。その当たり前だけが、こはくの小さな胸に残った。「こはくさん、行きますよ」「はい、ははさま」遺体が焼き終わるのを待たず、母はこはくの手を引いた。その日こはくが外へ出たのは二時間にも満たない時間だった。さようなら。どうかあの世で、お健やかに。死人に健やかとはこれいかに。おかしなことを考えているなと、自身で首を傾げた。気の利いた別れの言葉を、こはくはそのとき、知らなかった。次にだれかを弔うことがあれば、もうすこしじょうずに、お別れをしよう。帰りの車の中でそう決めて、こはくは車窓から見える街並みを、家に着くまで物珍しく楽しんだ。その日たしかに見た叔父の死に顔を、こはくはうまく思い出すことができない。