おいのち頂戴




「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
 例えばニキの料理を食べているとき、何かを殺さなければ生きていけないんだなぁと、そんなことを考えてしまうのでいけなかった。
 誰もそんなことを気にしながらニキの料理を食べたりしないし、おいしい料理の前でそんなことを考えて、なんて白けたことを考える子だと呆れられるのが怖かった。
 だから一度も、そのことについて誰かに話したことはなく、ただ黙々と、あたたかい食事を口に運んだ。
 ニキの料理はいつもおいしい。
 こはくがどんなものをどんなふうに調理しても、こんなにおいしくなるとは思えなかった。
 ニキはすごい人だった。
 料理をする人のなかでも、とりわけ、きっとすごいのだろうと漠然と思った。
 咀嚼しながら味わって飲み込む。それを繰り返すばかりのこはくは何だか役立たずで、とても欲張りのような気がしてならなかった。
 比べても仕方ないのだけど、こはくは自身の本質をよく理解していた。こはくは欲が深かった。いつも足りないとおもっていた。甘いものとか、たまの自由とか、小さな窓から見える季節の移ろいとか、そういう、ほんの一寸のものを、いつも、もう少しほしいと思っていた。ほんとうのほんとうは、もっと、たくさんほしいとおもっていた。それはなんだかはしたなくて、口に出すことは家を出るまでついぞなかった。
 そんな妄執すら抱くくせに、いただきますとごちそうさまの間に、特別な意味や生産的な何かがあるとも思えなかった。仮にこはくがそんなことを言い出せば、HiMERUは数字の話しを始めて、どれだけの熱量があるのかとか、摂取カロリーがどうとか、脳への作用とか、そういうことを真剣に語りだすのだろうし、燐音は燐音で、おいしいものはおいしいだけのことなので好きなだけ全部喰えばいいと笑うだろう。
 その通りだと思うので、こはくはやはり、何も言わなかった。
 ニキは。
 作る人はどうだろう。
 おいしく食べて貰えればそれでいいと、そのようなことをニキはいつも言って笑っているが、こはくが知りたいのはそういうことではなかった。
 命をいただくことの本当の意味を、ニキは知っているのではないか。何せ人間に向かって、生け簀の魚を眺めるように、おいしそうと言えてしまう人だった。こはくはおいしそうとは思わないけれど、自他の価値基準のおかしさは、人間の括りの中でそう変わらない気がした。
 ニキは今包丁を研いでいる。時間があるときにやるんすよ〜と言っていた。その話を聞きながら、こはくは山姥の話を思い出していた。しゃっしゃっと気味の良い音を聞きながら、顔色悪いっすよと勝手に目の前に置かれたレバニラ定食を食べていた。洋風のカフェなのに、いろんなメニューがあるんやねぇと感心していたら、今日の僕のごはんのおすそ分けですと、内臓がぶつ切りに詰められた大量のパックを見せられた。持ち込みらしい。それではニキの分が減ってしまったのではないか、とおもったが、間もなく最期の一口。
 こはくは端を置いて手を合わせた。
「ご馳走様でした」
 にっこり笑って接客したり、ファンサービスをしたり、きれいで透き通った、低温の愛を振りまくニキは、包丁の刃を目視で確認したあと、こはくを向いて愛想よく、また微笑む。
「はい、お粗末さまでした」





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