空腹とスパイス




「あ、怪獣だ」
「どこ?」
「上」
 天井を指さして、ニキが云った。どしんっずしんっと、大きな音が真上から響いて、振動で部屋が揺れている。一応このアパート、鉄筋なんですけどねぇ、なんて、ニキはけらけら笑っている。手元の鍋を混ぜるのが忙しいのか、他のことはすべて片手間のようだ。聞けば最近引っ越してきた家族で、幼い子供が居るのだと言う。
「気にならんの?」
「んん〜元気だなぁって。それくらい」
 ニキは、僕もずっとこっちに居るわけでもないしねぇ、なんて、どこまでも気にしていない風だった。かき混ぜていた鍋の中身を小皿にすこし分けて、こはくに差し出す。「お味見どうぞ」
「ん」
 すすめられたまま受け取る。ふぅふぅと息で冷ましてから口に含むと、香辛料の良い香りが口の中に広がった。今日は市販のルーを使わないでカレーを作るっす、とのことだった。市販のものを使っていなくても、ちゃんとカレーの味がした。
「おいしい」
「そ? んじゃ、これでいっすかね」
「テーブル片づけるわ」
「ありがとうっす。布巾とランチョンマットそこ」
「おん」
 言われた通りの場所にあった布を持って、テーブルへ向かう。食卓に置いてあるスプレーをシュッシュッと噴射して、布巾でさっと拭く。マットを敷いて、よそわれた皿を運ぼうとキッチンへ戻ると、ニキは何でもないことのように、こはくをまっすぐに見て云う。
「こはくちゃんも、怪獣になって良いんですよ」
「家ん中で飛び跳ねるほど子供ちゃうわ」
「そうじゃなくて」
「……違う意味なら、言われなくても?」
「んもぅ、そういうとこ、燐音くんにそっくり。」
 ニキは呆れたように、しかし「まぁ、イイっすけどね」と笑った。聞き捨てならない不名誉なことを言われた気がしたが、どうでも、とは付け加えられなかったので、こはくはそのことだけに満足して、二人分よそわれたカレー皿をテーブルへ運んだ。子供もいつの間にか満足したのか、地響きのような揺れは、いまは収まっている。




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