春の訪れ


 年中、明けても暮れても暗いばかりの居室あるいは牢のなか、こはくは壁にじっとはりつくようにして、外の音に耳を澄ませる。水でもかけられたような空気も、疾うに枯れて死んだはずの木材がぱしぱしと音を鳴らし、思い出したように呼吸する様子も、いずれもこはくの意識を通りすぎていくのに、その声を聞いてしまうと、ふわふわと浮き足立っていけないのだった。毎年のことだと云うのに、姉だとか、姉だとか、姉だとか、とりあえず、その時分こはくを訪れるすべての人にその声の主の無事を確認し、ああはいはい、とやる気のない返事をもらい、憤慨するのをくり返している。飽きもせず。何度も。幾年も。その内こはくの方から尋ねずとも春になれば欲しいこたえが得られるようになり、めずらしく思い通りに事がはこび、こはくは何だかそれはそれで気がそがれるのだった。今年はまだ見ぃひんよ。ああ昨日裏山で見たなぁ。そういう話を人伝に聞いて、こはくは一層、壁に耳を縫い付けたようにひっついて、ひとつの音も逃さぬように目を閉じる。幼い頃、一度姉となり替わって、春に庭先を歩いたときに出会った、美しい、極彩色の鳥のことを考える。幼いこはくを黒々とした双眸で捉えて、こはくと見合って、こはくが驚嘆するうちに、一鳴き、その美しい姿に似合わぬけたたましい声をたてて、そこから飛び去って行った、あの日をまざまざと脳裏に思い浮かべる。興奮のまま牢に戻り、姉に聞けば、あれは番で、裏山に住んでいると云う。長寿で、しかしもう、子供は望めないだろうと、そんなことを言って、さびしげに笑った。こはくが見たのは番のどちらであったのか。派手な色をしていたから、あれはおそらく雄だったのだろう。唯一自由にできるネット検索でも確かめた。直に見たときは美しいと思ったが、画像であらためて見ると不気味にもおもえた。それでも、いつか二羽がむつまじく揃っているところを見てみたいものだ。朽ちたはずの木が、またぱしり、ぱしりとどこかで鳴いて、それがどうにも耳障りだった。それでも返事のような間合いで、それらはこはくの鼓膜をたたくので、こはくも独り言のように、おん、とひとつ返事をした。それにまたこたえるように、今度は遠くで、懐かしい不細工な声がする。




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