初心





 体力勝負の番組収録を終えて、楽屋に並んだ丸椅子の一つにどっかり座ったら、もう何をするのも億劫になってしまった。燐音くん、もう若くないんでね、何て、自嘲しつつもそれなりに気分が良い。メイク落としシートで雑に顔を拭って捨てる。同じく楽屋に帰ってきたこはくが「お疲れさん」と隣の丸椅子に座ったので、燐音は「オツカレェ」と丁度いい位置の肩に頭を乗せた。こはくは「重いわ!」と文句を言いながら、自分だけが支えになるのが嫌らしく、負けじと寄りかかってくる。お互い意地の張り合いみたいに押し合いをして、均衡を保ったままほぼ同時に力を抜いた。番組のスタッフTシャツ越しに密着した身体のどこもかしこもかったるく、しばらくその態勢を維持していると「人という字は人と人とが支え合いできているのです」などと、涼しい顔をしたHiMERUが揶揄しながら横切るので、二人して忌々しく見送ってしまう。
「テンション高ぇなアイツ」
「全国区のテレビ収録やし、嬉しかったんやない?」
 声をひそめてやり取りしていると、間髪入れず「HiMERUは仕事の大きさで態度を変えたりしないのです」と訂正が入る。
 (絶対テンション高ェ)(せやね)今度は目だけで会話する。
 HiMERUは「何か?」という顔をして、帰り支度をはじめている。
 弁当の余りを大量に抱えたニキも入ってきて「うわ! 二人ともなに引っ付いてるんすか? 暑苦しいっす!」と騒いでいる。
 確かに暑い。いい加減、離れて自立しなければと思ったが、引っ付いたままのこはくの身体は、ぴくりとも動こうとしなかった。促すようにすこし肩を揺らしてみたが、独りごとみたいな声が「風船に穴が開いたみたいや」と呟くだけだ。そのまま取り留めなく「ああ、セットの風船、何個か割れとったね。びっくりしたわ」と続く。
「セットって、あんなに眩しくて暑いんやね。ステージとも、また別物やわ」
 こはくの言葉を聞いていると、アァ〜わかるわかると食い気味に同意してしまいたい気持ちになるけれど、そんな勿体ないことをしてはいけないので、終わりまで聞いてぐりぐりと頭を撫でてやることが多くなっていた。いつだってこはくは、そこで鬱陶しいと手を払って、興ざめという顔をする。悪くない予定調和だ。そして、今日も、きっとそうなる。
 数多のはじめての後は、ぴんとはりつめた意識が四散して、茹った頭がぐったり重い。緊張が完全に解けてしまって、ふわふわと現実味がない。そういう、はじめての感動や、興奮の余韻を邪魔したくない。そんなことを思ったり、思わなかったりしながら頭をぐしゃぐしゃ撫でて結局邪魔してやると、「ああ、鬱陶しい!」と切れたこはくが立ち上がってしまうので、燐音はそのまま、こはくの尻に敷かれていた丸椅子にべちゃりと懐く。燐音の心こはく知らず。ひっでぇの。人が直前まで座っていた椅子は当たり前に生温くて、合皮が頬に貼りつくのがちょっと気持ち悪い。こはくは帰り支度を済ませたHiMERUに合流して、軽く汗を拭いながら次の仕事の疑問点をたずねている。逞しいことだ。
 若いって回復早くて良いよなァと、燐音は我が身をすこし可哀想がって「よっこらしょォ」と掛け声をかけて腹筋で起き上がる。ぐっと腕を上に伸ばして正面に向き直ると、テーブルを挟んで二つ目の弁当を開けたニキが「おっさん臭いっす!」ともごもご口を動かしながら要らないことを云うので、傷心のまま足を蹴った。慰謝料だ。




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