七つまでは
神のうち




 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ。こはくは座敷牢の畳になついたまま、天井に向かい両手を広げ、指折り自分の年を数えていた。いつ見ても変わらない、くろぐろとしたかび臭い闇に、こどもの手の輪郭が白くぷかりと浮かんでいる。今日またひとつ年をとったので、こはくはやっつになった。やっつになったとおもうと同時に、頭の中に八人のこはくが浮かんで、そのうちの一人があとの七人をやっつけて、また一人のこはくになった。やかましなぁと自分の想像に文句をつけて、こはくは左の中指を折った。やっつになった。
 昨年本家に挨拶に行った際、つかさに「七つまでは神の子と言いますね」と、妙な祝辞を賜った。つかさが七つになったとき、似たようなこと家の人に云われたんかなぁとぼんやり考え「兄はんはもう神の子じゃあらへんの?」と聞いたら「司はもう立派な大人ですよ」と何だかよくわからない調子で得意げに胸をはるのだった。
 神のおとなっちやつがおるんやろか。神の子がおとなになったらそのまま神で良いのだろうか。こはくは人体のつくり以外のものをよく知らないので、かみさまのつくりには疎いのだった。

「ひとつ違うだけでえらい差やね」
「当然です。司の方がお兄ちゃんですからね」
「何のはなし?」
「こはくんはもっと司を頼って良いという話です」
「そら無理な話じゃ」

 こはくは人体のつくりの他に、こはくの家のこともよく知っていたので、つかさの言葉をすぐさま否定した。こはくは知っていることは少ないが、知っていることは正しく知っているので、判断を迷うことは少なかった。とたん不機嫌な顔をするつかさに「気持ちだけもろぉとくわ。おおきに」と口だけで愛想なく礼を云い、しかし実際、次期すおう家当主さまのありがたいお言葉を、こはくは永らく、後生大事に胸底へと仕舞いこむのだった。主君に不要な嘘などそうつけないので、きもちだけはちゃんともらっておく。つかさはすべてを覚えていないだろうが、こはくのようなくだらない人間にわざわざかけてくれた言葉ひとつひとつ、冥土の土産と身体中、いたるところに溜めこんで、勝手におもたくなるくらいには、救いようがない畜生がこはくだった。

 さてこはくは、今日でやっつになったわけだが、神のおとな、になったのだろうか。それとも神になったのだろうか。あるいは……あるいは? そもそもこはくは、自身が神の子ではないと知っているし、つかさが人であることも知っている。むろんこはくにとって、神のようなおひとであるのだが、そういう、お気持ちだけ、のことではなく、つかさが人であることは、こうぞう上、疑うことのない事実であった。こはくはひとつ年をとって、より人体にくわしくなっていたので、結論を迷うことは、やはりないのだった。
 こはくの視界にもはや生白い腕はなく、存外高い天井が暗いばかりになっていた。ずっと腕をあげているのは、まあ疲れる。体を横に倒して、視界に戻ってきた白い輪郭を眺める。鍛えても鍛えてもちっとも太くもおおきくもならない。必要、と判断された鍛錬の中で、ふだんほとんど動かない生活のツケをうまく返しきれない小さな身体が、こはくはあまり好きでなかった。九つになったすおうつかさを考える。頭の中では九人のすおうつかさが先ほど一人になってしまったこはくの周りを取り囲んでいる。つかさがつかさをやっつけるところは想像できず、こはくはつかさに暴力をふるうなんてとんでもないことで、つかさはずっと九人のまま、一人の畜生を見つめている。



戻る