トラジコメディ




 エマージェンシーエマージェンシー、オールレッドオールレッド、ただちに緊急退避せよ。これはエラーである。『HiMERU』にとって風早巽は人生のバグである。神のように崇められ、自身も神を信仰し、最後には地に堕とされた哀れな男。それに勝手に『HiMERU』も巻き込まれ、大切なHiMERUの大切な十代の一時期を無駄にしてしまった。それなのに、これとまた無駄な会話をしていることは要にとってあまりにも予期せぬ事故で、まさかこんなところで、という、数奇なめぐりあわせで今に至る。夏で、久しぶりの連休だった。一日目は病院に行き、買い出しをし、家の掃除をした。二日目は空気の良いところに行こうと思い立ち、気分転換に山へ向かった。今思えば、何故そんなことを考えついてしまったのか。後悔とはつくづく先に立たないものである。ふもとへ向かう直通のバス停に、同時刻、なんと風早巽も現れたのだ。先に乗り込んで荷物を確認していた要の横に立ち、おや、HiMERUさんではありませんか、奇遇ですな。そんなことを言った。要は頭を上げるのが嫌で嫌ででも逃げるのはもっと嫌だったので、コンニチハキグウデスネカゼハヤタツミとにこやかに返した。隣に座っても? と聞かれ、少ないが人の目もあったので、どうぞとだけ言い、その後は、何を話しかけてきても持ってきた文庫本を広げて無視した。まもなく映画が公開予定の流行りのミステリー小説だったが、内容は頭に入ってこなかった。すべて風早巽のせいだ。山のふもとへ到着しても、風早巽は着いてきた。初心者向けコースが何本もあるわけではなく、結局ともに登ることになった。風早巽は足を痛めており、要もまた大切な『HiMERU』にまさかやまさか無理をさせるわけにもいかず、同じく着いた観光客より随分ゆったりとした足取りで山を歩いた。風早巽は飽かず話をしていて、足以外はやたらと元気な様子だったので、要は足音に紛らわせて何回か舌打ちをしてしまった。聞こえてしまっても、別にどうでも良かった。平日だったし、有名な観光スポットというわけでもなかったし、バスの時間は一時間に一本で、人の目はすでになかった。山頂に着いたころには、先に登っていた同乗者は山を降りる準備をしていた。要が展望デッキに向かうと、何も言わず風早巽も着いてきた。いい加減舌打ちするのもばからしくて、好きなようにさせていた。そんなに高い山ではありませんが、絶景ですな。HiMERUもそう思います。こんなにも良いところなら、もう少し人も多そうなものですが、穴場なんでしょうか。HiMERUもそう思います。季節が変わったらまた来たいものですね、時期に紅葉です。HiMERUもそう思います。さっきからそればかりですね。HiMERUもそう思います。そんな会話をしていたら、ふと風早巽が爆弾を落とした。

「『HiMERU』さんに、会いたいですな」

 信じられない気持ちで隣を見ると、風早巽は景色を眺めて、まるで寂しそうな顔でほほ笑んでいる。さみしそうなかおで! ほほえんでいる! ゆるせない! どうあってもゆるせない! ひとのきもしらないで! おまえのせいでおまえのせいだおまえのせいなのに!! 要は二歩、三歩と下がり、今日初めて、風早巽の背後に周り、風早巽の背中を景色とともに眺めてみた。いつ見ても憎たらしい、心底反吐が出る後ろ姿だった。ここからこいつを突き落としたら、三対六枚の羽根が生えて無事どこかへ飛んで行ってしまうだろうか。それとも突き落とした要を空中で振り返り、『HiMERU』を今度こそ殺して、ほくろがまたひとつ増えるのだろうか。そんなことはあり得ない。この景色からこれを排除したら、きっとすがすがしいことだろう。きっと、きっと、そうにちがいない。こいつの大好きなかみさまとやらだって、そうだそうだと云ってくれている。だってほら、こんなにも都合よく2人きり。エマージェンシーエマージェンシー、オールレッドオールレッド。要の手が、風早巽の背に触れる直前、写真でも撮りましょうかHiMERUさんと、風早巽が要を振り向く。ああ、あと少し、遅かったら。



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