夢墜ち少年




「何をしているのですか?」
「見てわからんの」

 頭上から声が降ってくる。これが常態化していることを、こはくはひそかに不満におもっている。どいつもこいつも縦にばかりすくすく伸びおって。この程度のことを気にしてるなんて知れたら、ユニットの、とくにリーダーか頭目か成人男性かギャンブラーか紐に、さぞ面白くない方向で弄られるとわかっているので、誰にも云ったことはないのだけど。年の差も身長差も、どうしたって、埋まらないものは埋まらない。今に見ていろ。こちとらまだ成長期だ。こはくは決意もあらたに手元の成長著しい雑草を引っこ抜く。それはさておき、こはくはしゃがんでいるのだから、見下ろされるのは道理というものだ。相手も、普段こはくの頭を、丁度いい位置にあっからよ〜などと、腕置きに使う年上の赤毛とは違う。ふう、と息を吐き、熱を逃がす。頭頂部がじりじり熱い。はじめて経験する炎天下とよばれるものだった。こはくは軍手をはめた手を、HiMERUに見せる。指先が土色と、わずかに草木の緑で染まっている。

「雑草むしっとるんよ」
「それはわかります。何故あなたがやっているのか。HiMERUはそれを聞いています」

 相変わらず、けったいな話し方しはるわ。己のことをすっかり棚の上において、こはくはそんなことをおもった。見上げたHiMERUは逆光で、首筋がきらきらと光っている。汗かくんやな、このお人も。HiMERUはよくわからないという顔でこはくの答えを待っている。ここに居るのがこはくでなければ、疑問にも思わなかったに違いない。

「しゅうえつの人?に頼まれたんよ。そこらへん歩いてはった」
「ああ」

 そこでHiMERUも納得したらしい。どうにも変なところが抜けている。こはくは玲明の生徒になったので、特待生の雑用をいろいろと申しつけられることが増えていた。ここはそういう場所らしい。こま使いは慣れっこなので、とくに反感もなくやっている。

「ところで、間もなくユニットでの練習時間ですが」
「え、ほんま? あーどないしよ。一緒におった人ら今どこやっとるかな」

 連絡先聞いとくんやったわ。居合わせただけの知らん人らなんよ。あたりを見回しても、先ほど一緒に声をかけられた玲明の人間は見当たらなかった。ジュンに連絡して聞いたほうが良いだろうか。いや。多忙な彼にこんな些末なことを聞けるような気安さはない。スマホを片手にかたまっているこはくを置いて、HiMERUは歩いて行ってしまう。ああ、置いていかれた。そうおもった矢先、あなた、とHiMERUは、通りを歩く下校中であろう、玲明の生徒に声をかけた。

「代わってくれますか?彼はHiMERUとユニット練習に行かなくてはなりません」

 ああ、そういえば、ここはそういう場所だった。鶴の一声、というやつだ。HiMERUは当然の権利としてそれを使うし、声をかけられた玲明のだれかも、かしこまった返事のあと、こちらの道具の一切ふんだくるように取り上げて、行ってくださいと云うのだった。この人、先輩とちゃうんかな。クラスメイトより発育の良い誰かを見て、こはくは考える。おおきに、すんまへん。一応の礼と謝罪をして、HiMERUを見ると、行きますよ、と顎と目線で促された。尊大な態度が様になるものだ。つめたい美貌が良く映える。事務所までの道をHiMERUに並んで歩きだすと、前から歩いてくる玲明の生徒がまた、邪魔にならないようにと道の端に次々避けるのが、同じ制服を着ているのに、なんだかおかしかった。

「けったいな場所じゃ」
「すぐ慣れますよ」
「せやろか」
「わからないことがあれば、答えられる範囲で答えますが」

 玲明はこはくが想像していた学校とは、だいぶ趣が違うところだった。先輩はえらくて、後輩は先輩のいうことを聞いて、そういう場所だとおもっていたのだけど、どうやら一概には言えないらしい。最初の最初に、何だかけっこう、難しいところに入ってしまった、ということだけが、こはくにもわかった。HiMERUはここでの出来事を、何も疑問におもっていないようなので、何もかもがわからないこはくは、まだうまく、HiMERUに何かを聞くことができないのだった。

「考えとくわ」

 いつでも暗くひんやりとしていたあの部屋とはちがう、外の世界の夏は、発光した世界は、まぶしくて全容が掴めない。気を抜けば、そこに居るはずのHiMERUの輪郭さえも、こはくはちっとも、判然としないのだから。たらりと流れる汗の感覚が煩<わしいなんて、何かの冗談のようだった。


***



 目が覚めると見慣れぬ天井を蛍光灯がまっしろに照らしていた。ああやけに眩しかったのはこれだったのかとこはくはひそかに落胆した。どうせ照らしてもらうなら、お天道様がええなあとぼんやり我ままなことを考える。明るさというものに種類があることを、こはくは最近知ったばかりだ。

「まっしろか、まっくろか、見えんことには変わりないなぁ」
「何の話ですか?」

 夢のはなし、というと、ほう、と興味があるのか無いのか、わからない応えがあった。起きようとおもったが、その前に、無理に動かないようにと制された。首と頭にぐるぐると、何か巻かれて固定されている。確かに、動かすのは難しそうだ。あきらめて、目だけで声のする方を向くと、HiMERUは夢の中とかわらない綺麗な顔で、似合わないゴシップ誌を読んでいた。だれかが置いて行ったのだろうか。それとも気になる同業者でも載っていたのだろうか。HiMERUは勤勉なので、必ず共演者の情報を頭に入れてから現場へ行くことを、こはくは知っていた。
 視線を天井に戻す。消毒液と、薬品と、クリーニングされた布の匂いがした。病院だ。知らぬ間に腕から管がつながっている。寝ても覚めても白々しい。あつくてさむいのは、怪我で発熱しているからだろうか。ああ、そうだ。裏の仕事で、大層どんくさいことをしてしまったのだ。追いつめて、追いつめられて、また追いつめた先で、居るはずのない人を見つけてしまって、それで。

「何で居たん、あそこに」
「怪我をしていたようだったので、気になって」

 困った探偵さんやね。確かに、それ、を追いかけているとき、こはくは怪我をしていたが、あの程度なら、病院おくりにはならなかった。七種にだけ報告がてら話を通して、しばらく肌の露出やメイクを工夫するだけで済んだ。それなのに、居ないはずのHiMERUに気を取られて、標的の上に乗った身体をそのまま振り回されて、受け身を取ったのは良かったものの、運悪く角の出っ張りに頭を打ちつけた。気を失う前、ついでとばかりに蹴り上げられた腹が痛い。あのど畜生。地獄で遭ったらおぼえとき。

「素人さんは邪魔や」
「それは申し訳ありません」

 なぁ、なんで追いかけてきたん? お互い不可侵とちゃうかった? 知りたがりの隠したがりめ。口では何とでも云うわなぁ。八つ当たりの悪態をつらつらおもいつくまま考えて、一つも声にならなかった。ふつふつと込み上げるのは、己のふがいなさに対しての怒りで、HiMERUに対してのものではなかった。躊躇わなければよかったのだ。なぜ、見られたくないなどと、おもったのか。自分の生業など、口では散々に物騒なことを云ってきたくせに。

「結局どうなってん」
「あなたが追っていた人物でしたら、あなたの相方が連れて行きましたよ」

 桜河のことは、HiMERUが任されました。おもわず舌打ちが漏れる。あの唐変木のくそったれ。隙あらばこちらの手を払い、暗がりからこはくを遠ざけようとする、自身の願望を押しつける女々しい男が、しめしめと、HiMERUにこはくを押し付けるところが目に浮かぶ。ここに居ない斑に、想像の中で盛大な飛び蹴りをかまし、遠慮なくしめあげる。実際そう簡単にはいかないだろうが。
 どんどん剣呑になるこはくの表情を見兼ねたのか「HiMERUが任せてくださいと云ったので」と、あろうことか斑を庇うようなことを云うので、おどれらみんなわしの敵じゃと、無性に喚き立てたい気持ちになった。ひとつの事実なのだろうが、そんなことはどうでも良い。穴があったら入りたい。失敗した。はずかしい。悔しい。なんやのさっきの夢。いったい何の願望なん。現実逃避も大概にせえよ自分。これでは斑に文句のひとつも言えないではないか。

 たまらず布団を両手で頭まで引き上げた。点滴の管が揺れて、かちゃかちゃと、布団の中にまでくぐもった音が届いた。穴がないので、隠れられればなんでもよかった。無理に動いたせいで、またどこもかしこも痛かった。情けなくて、ばからしくて、泣きたかった。

「何がしたかったんやおどれ」

 絞りだすように吐き出した弱音が、HiMERUに届く前に布団の綿に吸われてなくなってしまえばいいとおもった。それなのに、HiMERUはしっかりと拾い上げて、こたえを迷っている気配がした。やめてや、考えてほしない。こたえも要らん。はよ帰って。

 こはくの願いも虚しく、HiMERUは「あなたを」とこたえ、一拍おいて「お前のことを知りたかった」と言い直した。こはくはどちらの呼び方でも、どちらのHiMERUでも構わなかったが、HiMERUはいつもそればかり気にしていた。とても大切にしてるようで、投げやりなようで、何も知らないこはくには、よくわからない分け隔てだった。HiMERUとのあいだには、いつも秘密と沈黙があった。それが、たった今、ひとつなくなってしまったのだ。永遠に。こはくのミスで。HiMERUもなにか間違えたのではないか。わからない。だからいま、こんなにもくるしい。

「迷惑かけたわ。はよ帰って」

 布団の中で目を閉じると、もう何も見えなくて、馴染んだ闇がこはくに両手を広げている。いつもは飛び込むようにその闇へ沈むのに、また真っ白な夢を見るのがこわくて、こはくは意識を手放すこともできず、しばらく目を瞑ったままでいた。どん詰まりだ。逃げ場がない。眠るまでここに居ます、と、静かな宣誓が聞こえた。話聞けやどあほ。ほんま、はよ帰って。じっとだまっていたら、ふいにHiMERUが、ベッドへ近付く気配がして身を固くした。枕元を探るように何かが動いて、次いでかちりと音がする。そのあと看護師と、遅れて医者が入ってきたらしく、起きましたと、それぞれに報告するHiMERUの声が聞こえた。桜河さん、と声をかけられ、布団を剥がされる。

「寝かす気ないやん」
「そういえば、呼ぶように言われていたので」

 ほんま、へんなとこ抜けとるね。HiMERUはきまりが悪そうに医者越しにこはくを見て笑った。売り物にならない、苦い顔だった。いっとうだいじか、かわいい己のため以外に、やさしくするとか、かまうとか、ようしてこんかったんやろな。夢の中の、人を使って当然のように澄ましているHiMERUを思い出した。そういうところは、すこしだけ、こはくにもわかるような気がした。一番、二番、それからそれから。なあ、これからどないしよか。医者がライトをこはくの目にかざす。焼けるように白いものが視界を行ったり来たり。最後に冷えた聴診器をぽんぽんあてて「大丈夫そうですね。一晩様子を見て何もなければ、明日は帰れるでしょう」と医者が言う。レントゲンに異常はありませんでした。お大事に。こはくはおおきにと云って、HiMERUはお世話になりましたと頭を下げる。何ひとつ、大丈夫なことなどなかったので、こはくも今きっと、HiMERUとおなじ苦い顔でわらっている。



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