幸福の糸




 錆びたドアノブをまわすと、ぎいっと軋んだ音を立てた。ちりんちりんと、頭の上で鈴が鳴る。店主はちらりと、店先に立つ凛月に目線をくれ「また来たの?」と挨拶がわりに溜息をついた。凛月は「客商売でその態度はないんじゃないかなぁ」と、これもまた、挨拶のように返すのが常だった。

「俺の抜け毛で毛糸作ってよ」

 はぁ?と柄悪く片眉をあげる泉に、凛月は小首を傾げる。

「毛糸屋さんなんでしょ、セッちゃん」
「手芸屋だっての」

 ヒューマレルムの端の村で、泉は手芸の道具や手編みの防寒具を商いにしていた。こじんまりとした二階建ての一軒家で、一階がお店で二階が住居。凛月がいつ訪れても、棚いっぱいに毛糸と生地を並べて、泉は休むことなく、朝から晩まで、せっせっと編み棒を動かしている。

「第一あんた 毛糸にできる兎じゃないでしょ」
「そうなの?」
「できる種類だとしても、羊毛に混ぜなきゃ使えないよ。ウサギの毛はすぐ抜けるし」
「残念。まあくんへのお土産にしようと思ってたのに」

 頭の上の、長いウサギ耳をしょんぼり垂れて、凛月はうなだれる。

「毛糸なんて貰ったって人間は喜ばないでしょ」
「じゃあ手袋作ってよ」
「おれは狐に奉仕する帽子屋じゃないんだけど」
「俺は狼兎だよ」
「こっちの話」

 学が無いねぇ。これだから獣は。
 悪態を吐く癖に、凛月の頭を撫でる手は丁寧で、嫌なところなどひとつも触らないのだから困ってしまう。
 あんた毛並みはうさぎ寄りなのに肉食なの、食べたもので身体はできてる筈なのに、おかしいね。狼らしさと云ったら肉食と犬歯くらい? 
 顎から頬を撫でる流れで、泉は凛月の口の端をついと引っ張り、いーっと犬歯を露出させる。むず痒くて思わず甘噛みしてしまうと、他人の指を噛むんじゃないと振り払われて、今度は強く叩かれた。前言撤回。なんて理不尽で横暴な手なのだろう。

 泉は天空人だ。正確には天空人、だった。翼を失くしてしまったから、今は人間と大差ない姿かたちをしている。椚という、これもまた天空人だった男が、泉のあれやこれやを教えてくれた。教えてと強請ったわけではないのに勝手に話したのだから、ただ耳を傾けていただけの凛月はわるくない。選民思想が強くて、苦手なんだよね。あの人。とは泉の弁だったが、泉もなかなかにその傾向が強く、凛月は幾度となく、このケダモノ風情がと罵られている。凛月はピリオドという職業柄、レルムを往来することが多く、生粋の天空人も知らないわけではないが、多かれ少なかれ、皆似たような傾向はあると思う。
 
「ねえそれなあに」
「マフラーだよ」
「また作ってるの」
「うん」

 今年こそゆうくんに渡すの。去年は渡せなかったから。泉はいつ会っても、ゆうくんに渡すマフラーを編んでいる。泉が一時をともに過ごした、スペアレルムの子供らしい。

「寒い国だからねぇ」

 のんびりと、遠い国に思いを馳せて泉は呟く。その子供はもうとっくに大人になってるんじゃないかなぁ。凛月がそれを云うと「ゆうくんは大人になったって俺の大切な弟だよぉ」と、それはもう、幸せそうにうっとり笑うので、その都度忌憚なく、きもちわる〜と伝えている。ゆうくんの話をする泉は、いつも幸せそうなのに、どうしようもなく寂しげだ。凛月はそれをおもしろおかしく茶化すことにしていたが、いつも不遜な泉の穏やかな翳りが、実はほんの少し、嫌だった。



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